贅沢な時間について考えた時、なぜ贅沢といえるのか?と考えてみた。
たとえば、
週末の朝にゆっくりとコーヒーを淹れて一息つく
趣味に没頭する
花の金曜日に仲間と楽しい時間を過ごす
どれも贅沢なひとときと言われるのではないか。
しかし、たとえば、私のケースだと、三つ目に挙げた例は贅沢でもなんでもなく、なんなら苦痛の時間となる。
なぜかというと、まず第一に、そもそも私は飲み会が嫌いだということ。これまでの人生で、一度たりとも飲み会を楽しいと思ったことがない。
第二に、自分の時間を飲み会に使ってしまったという事実に後悔する。もったいなくてしょうがないと感じる。
しかし、コーヒーを淹れるであったり、趣味に没頭するという時間は贅沢だと感じる。
この違いはなんだろうと考えてみると、自分の好きなことまたは嫌いなことをする、と自身で決定したかどうかという点があると思う。
当然、自分の好きなことに時間を割くことができれば満足度は高くなる。
反対も然り。
したがって、贅沢な時間を過ごすには、自身で◯◯をすると決定することが大事だと思った次第。
ちなみに、私は飲み会が嫌いだが、大切な人と過ごす時間は好きである。
大勢で何かをする──というのが、苦手。
ただ、自分の苦手を知ることができた、という点においては飲み会に参加したことは後悔していない。
経験してみて初めて分かることというのも多いものだからだ。