このタイトルで記事を書こうと思ったとき、つぎの疑問が思い浮かんだ。
「ルーティン」と「ルーティン化していること」は別物ではないか?と。
ルーティンは、決められたことを行うことであり、長く続けられている日課などが例にあげられる。
ルーティン化していることは、もともとルーティンではない日課を、日課に引き上げた結果(最近ルーティンになった、なりつつあること、ルーティンとするために挑戦中)であるのではないか、と。
つまり、私の場合、社畜タイムが終わったら(=帰宅したら)、ご飯の前にシャワーを浴びる、はルーティンで、夜寝る前にブログ記事を書く、はルーティン化していること。
いや、どっちも同じじゃね?とも思うかもしれない。
確かに、同じかもしれない。
しかし、言葉の意味について考えを巡らせてみることは、自分の考えや知識を見直す機会にもなると思った。
自分の中で言葉の意味を反芻し、ああだろうか、こうだろうか、と考えることは、自分の言語能力によい影響を少しでも与えていたらいいなあ……と思った次第だ。
ここ最近はできるだけ毎日ブログを更新しているけれど、これも自分の考えをアウトプットする機会を主体的に得て、自分の言語センスを鍛えたいなと考えたからである。
もちろん、すぐすぐに効果が現れるとは1ミリも思っていない。
長く続けたら、いつの間にか以前よりも表現豊かに、具体的にも抽象的にも、自分の考えを思い通りに出せるようになればいいな、と思う。
とりあえずは、ブログをのびのびと続けること、そして、常に考えをあちらこちらに巡らせながら、書いていきたいと思う。
あれっ、結局ルーティン化していること、ってなんだ??